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<レポート>第17回講座(新春講座)「縄文と江戸に学ぼう」

2014.04.06 | カテゴリー:講座の記録

第17回講座は「縄文と江戸に学ぼう」と題して、2014年2月1日14:30~16:45、あがたの森文化会館にて開催しました。
姉妹塾である諏訪自然塾の塾長清水馨さんに縄文と江戸の文化から平和とリサイクル社会についてお話ししていただき、その後参加者を交えてのフリーディカッションで講演内容を深める時間を持ちました。

INDEX

諏訪自然塾とは

諏訪自然塾事務局長 松本修二

諏訪自然塾も信州自遊塾と同時期に発足、3・11は生き方を問う大きな分岐点になった。もう一度縄文と江戸に戻ろうという清水さんの呼びかけで集まった。机の上の学習ではなく、八ヶ岳の自然の中に入って四季折々にしか体験できないものを学んでいこうというスタンスで活動。山に入って植物の専門家の清水さんに野草やきのこのことを教わり、持ち帰って食す。その後清水さんの話を聞いたり、ワイワイと討論会を行ったりしている。清水さんの話を聞く中で会員はみな縄文に対するあこがれを持っている。私たちにとって清水塾長は、「生きた縄文人」というイメージです。

講演「縄文と江戸に学ぼう」

諏訪自然塾塾長 清水 馨

3・11の震災状況下でもパニックにならず、暴動も略奪もなく秩序を保っている日本人に世界は注目した。清潔・おとなしい・勤勉・真面目という気質は日本人の長所である。その日本人の良さに気づかないのもまた日本人。今、祖先の生き方を見つめ直すことで自分自身をもう一度見つめ直す時期ではないか。今日は縄文の文明と当時の大陸文明との比較・江戸時代と中世~大航海時代のヨーロッパとの比較をテーマにお話しします。

縄文時代

縄文時代は、青森の三内丸山遺跡の発掘で縄文人が文明と呼んで良いだけの生活をしていたことが分かり、縄文人のイメージは未開の原始人から大きく変わった。

① 高度な文明

天然資源に恵まれた日本、衣食住の原型は縄文時代に作られた。その後はその技術が改良されて今に至っている。

例)黒曜石—日本は石器時代から尖頭器があったのは黒曜石があったから。中国は近代まで鈍頭器を使用、その頃日本は日本刀の時代。
 うるし—もともと日本にはうるしの木はなく交易で手に入れたもの。うるしは精製しないと黒くなる。当時の中国では黒漆、三内丸山では精製した赤漆が発見されている。

そのほか船や織物なども縄文の技術が改良され、江戸から現代へと受け継がれている。

② 平和な時代

弥生時代は集落の周りに環濠(堀)を作っている。覇権・争いの時代を意味している。縄文のムラではそういった設備はなく、集団で争った人骨も形跡も発見されていない。長い間争いのない平和な時代と言われている。
三内丸山と同時代の中東など大陸文明は覇権主義(争う競争社会)であった。縄文が平和だったのは自然の違いだと思う。

地球は太陽系の奇跡(水と命の誕生)と言われているが、日本は地球の奇跡(地理的位置・南北に長い・海流の影響など)と言われ、地球の中で最も多様性に富んだ自然がある。山の木を伐採しても日本では20年で再生されるが、大陸では一旦砂漠化してから再生するため500~1000年かかると言われている。「あとは野となれ山となれ」は再生力を現す象徴的な言葉。
世界の3大毒草のひとつトリカブト、他の毒草が一目で毒草と分かるのに対して、トリカブトの花は清楚で美しい。熱帯雨林の植物は目立つが日本の植物は目立たず平均的、「中庸」である。自然の再生力・中庸な自然の特性は日本人の気質にも表れている。

③ 女性中心のムラ社会

例えば狩りに出て仲間でシカを2頭仕留めた。ムラにとって十分な量だ。その中に「オレは一人で2頭仕留められる」という男が出てきて、その男が賞賛されたらどうなるか。もっともっとと競争が始まり必要でないものまで獲ってしまい資源は枯渇する。これが覇権、資本主義の基である。覇権は倫理・モラルと対峙するもの。
縄文では「女性的なるもの」が覇権を極力抑えて、集落を維持していくために働く人を大切にしていたのではないか。対する大陸文明は、文明同士で争い、土地を奪いその地の資源を食いつくし、他の地に移動していく男性的な社会がやがて大航海時代へと発展していく。縄文人は資源は有限で持続的に利用する工夫を知っていた。その賢さが長い平和な時代を築いたのではないか。

江戸時代

縄文晩期から約2000年を経て江戸時代を迎える。縄文の考え方は江戸時代に花開き平和な社会が265年も続いた。

① 人類史上初の軍縮国家

実は戦国時代は火薬・鉄砲の使用量は世界一で激しい戦乱の時代だった。高遠城では1日にして3000人の兵隊が織田軍によって殺されている。槍や刀だけでは殺せない数。

徳川幕府は火薬・鉄砲をほぼ全面禁止にした。ヨーロッパなどの身分社会では、上は持ちながら下には禁止する政策をとるが、徳川幕府は自らも持たない政策をとった。平和な社会は文化・文明が発展するベースである。当時の庶民の識字率は80%以上あった。

②  高度な倫理社会

江戸時代は身分差別があってひどい時代というイメージがあるのは明治政府が江戸時代を否定するために歴史をねつ造したためである。
江戸時代の倫理観は武士道にある。「清く貧しく潔く」清く―身も身辺も清潔に 貧しく―金儲けを下に見る 潔く―切腹 この考え方は一般庶民にまで浸透していて、どろぼうや乞食にも倫理があった。(どろぼう―犯さず殺さず貧しきものから盗まず。乞食―ほどこしを受けても盗まず拾いものは盗らず)故に当時の日本は世界一安全な国だった。
善光寺に商家のおかみ6人が女だけで全国の寺参りで半年旅したという記録がある。女だけで旅ができた治安の良い国と分かる。
100万人都市の江戸には正規の警察官が80人、その下にいた町人を合わせても200人程度であった。

③ リサイクル・循環型社会

当時江戸はパリ・ロンドンをしのぐ世界一の都だった。たくさんの人間が暮らす都でゴミ・し尿・雑排水などの問題はあったのか。
信じがたいが当時のパリ・ロンドンではゴミやし尿まで道に捨てていた。日本ではゴミ・くず集めを生業にしている人がたくさんいた。し尿も売買の対象で、夜、近郊農村に運び農産物の肥料になった。昔はし尿を溜めておく「溜め」が畑にあった。し尿が発酵するとアンモニア窒素が硝酸窒素に変化して植物が吸収しやすくなる。発酵技術はそのプロセスで日本が発見したもの。

最後に

江戸末期にイギリスの王朝の貴婦人が江戸から米沢まで一人旅した時の日記には、灌漑が行き届いた田園風景や多種な作物を栽培している様子、美しい農村風景を東洋のアルカディア(桃源郷)と表現している。外国女性が一人旅できるほど治安が良く、清潔な街並みや勤勉な国民性に多くの外国人は驚いていたのだ。

現代は覇権的なものを賞賛する風潮が強い。例えば、年俸二十何億円の野球選手を手放しで賞賛する。否定するわけではないが過度に賞賛するのは良くない。世の中の基本を維持している大多数の人たちが派遣労働や派遣切りで苦しい生活をしているのに、なぜ突出した人間をそこまで賞賛するのか。これが間違っていることを縄文や江戸の歴史は教えている。
我々が持続的に生きていくには原点に返り基本を大切にする社会、社会を支えている多くの人を大事にする社会でなければならない。「原点に戻りましょう」ということを今日は一番伝えたかった。

フリーディスカッション

★今の児童虐待や自殺などの問題、縄文時代子供は大切にされていたのだろうか?
☆推測だが自殺した人間もいたのではないか、今日本の自殺者は20~30代を中心に年3万人いる。今は異常な状態。
☆縄文時代は文献も比較資料もない。埋葬方法などがヒントになるか。三内丸山ではムラの入口に子供の墓があったと記憶している。輪廻の思想と関係があるのだろうか。
☆繰り返す自然の営みと自然崇拝から輪廻の思想は始まっていると思う。
☆家の入り口に赤ん坊や嬰児が埋葬されている例も多い。またぐことで魂が体内に戻るイメージでは。縄文では「死と再生」月の神を崇めていた、盛んに稲作が始まる弥生に入ると太陽の神に変化したと言われている。
☆江戸時代は町屋でも農村でも子供は夫婦のものと言うより、長屋やムラのみんなの子供という考え方だった。
☆子供が大事にされるようになったのは20世紀になってからと言われているが、西欧では児童労働がすごく小さな労働力としか見ていなかった。西欧と日本を同じように解釈することはできないと思う。

★縄文時代の地域社会の規模、人々の役割や分業はあったか?
☆三内丸山は大きな都だったとわかっている。弥生の集落には環濠(堀)があって集落の境が分かるが、縄文遺跡にはなく境が分からないので規模がつかみにくいが、多くは小さな集落と思われる。定住するムラだけでなく移動するムラや交易する小集団もいたと考えられる。
分業は、三内丸山の大型建物や6本柱の構造物を見る限り、あったと考える方が自然だろう。美しい装飾品も発見されている。

★学校があったわけではないだろうが、技術の伝承はどのようにしていたか?
☆洋の東西を問わず口伝だっただろう。当時文字はなかったが、口伝は脳に記憶を留めておくのに最も優れた学習方法。
☆当時は、生きる力=学び成長すること。与えられるのではなく求めるもの。今は学習が生きる力と離れているので、しなければならないものになっていると思う。
☆江戸時代の教育は、西欧では地位を得るための資格取得型。日本では己を高める、知識欲を満たす修養型だった。生涯学習は日本から始まっている。

「特別秘密保護法案」の反対声明の提案と承認

松本猛塾長 「多くの国民が審議が不十分と言う中通過してしまった法案。信州自遊塾は政治団体ではないが「学ぶ場」という観点から知る権利・表現の自由を奪われる可能性のあるこの法案の撤廃を求める声明を出したいと思う」

中野和朗名誉塾長 「助け合い・分かち合いが人間の本性と言われている。それに反する動きが出てくると暗い気持ちになる。私が80年生きてきて身に着けた知恵として、こうありたい、これだけは止めてほしいことがある時は、願い続ける・言い続ける、決して諦めないということ。この声明もそのささやかな行為のひとつです」

《中野名誉塾長が声明文を読み上げ、満場の拍手を持って承認されました。(声明文はその他お知らせの記事参照)》

参加者の感想(抜粋)

  • ・とてもおもしろく興味深く聞かせてもらいました。“中庸”という言葉は日本人らしさを象徴している言葉でもあり、勉強になりました。縄文から続く精神が日本人らしさを作っていると考えて大事にしていきたいと思いました。(諏訪市・30代・女性)
  • ・縄文に江戸、学校での学習と視点が違い、とても新鮮に受け取ることができました。恐らくほかの時代についてもどうだろうか…。理想の暮らし、社会、これからのことに大きな知恵をいただきました。(70代・女性)
  • ・学校で学んだ歴史の定説が覆される大変興味深いお話でした。(松本市島内・60代・男性)

新春交流会

講座終了後の17:30から松本市中央の「トラットリア松本画廊」で交流会を開きました。講座参加者47名から20人と交流会のみの参加が2人、計22人で料理やワインを楽しみながら会話が弾みました。
今回は諏訪自然塾の方にも参加していただき、お互い刺激を受け合い、親睦を深める時間となりました。

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