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〈レポート〉第32回講座「ドイツから学ぼう」第2回「平和・教育・戦後処理」

2018.08.18 | カテゴリー:講座の記録

【2018年6月9日(日) 松本市中央公民館 Mウィング】
2018年の講座のメインテーマを「ドイツから学ぼう」とし、長野県日独協会様と共催で、年間通して4回のシリーズで講座を開いています。第2回目は、「平和・教育・戦後処理」をテーマに行いました。今回も92名というたくさんの方に参加頂きました。

第1部 ドイツの今、教育と戦後について

画像を紹介しながら講演する那須田 淳さん

作家の那須田淳さんに「ドイツの今、教育と戦後について」と題してお話しいただきました。

那須田さんは、1992年にミュンヘンの国際児童図書館に作家との交流を目的とした奨学研究員としてドイツに招かれたのをきっかけに、1995年からドイツベルリン市に在住、ご自身の娘さんもドイツの学校に通われています。

ドイツの教育姿勢

たくさん違う点は感じているが、日本のとある大学スポーツの場で行われた反則行為は、自分の意見を言いにくい縦社会的構造が表面化してきたのではないか、と感じている。ドイツの教育姿勢には戦後教育の中で根ざされてきた「Zivilcourage」“市民の勇気”という、どんな小さな声でもあげていく、という意味の言葉がドイツ人の中で当たり前にある。

また、1885年にヴァイツゼッカー大統領が語った「過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる」という言葉にあるように、歴史に学ばなければいけない、という感覚をドイツは持ち続けている。

ドイツとケストナー研究

ミュンヘンの国際児童図書館に奨学研究員として招かれた時、当時自分が住んでいたシリア―湖の近くに、1945年にケストナーが住んでいたこともあり、なぜケストナーが終戦直後にシリア―湖の近くに住んでいたのか、という興味から研究対象にした。

ケストナー自身も1914年第1次世界大戦の際に学徒動員を経験し、時代の目撃者でもある。「私が子どもだったころ」や、ヒトラーが台頭する直前に書かれた「ファービアン」には、教育を含めて、なぜ子どもたちが戦争に巻き込まれたのかということが書かれている。ケストナーを研究していく中で、戦争について、教育についてどうだったのか、ということが見えてきた。

第1次世界大戦後、1919年~29年の10年間ドイツは戦争に向き合おうとする意識があった。平和主義的なワイマール憲法ができたり、ソビエトができたり、世界的にも様々なことが起こった変革期に、戦争の反省を意識した人達がいた。
しかし大恐慌があり、経済的不況からヒトラーが台頭してくる。ナチスが台頭してきてもいろんなものを書いている人がいたがナチスの思想統制があり、ケストナーの「飛ぶ教室」も反ナチ的な事を書いてあったので、ドイツでは発刊できず、スイスで発刊されていた。1933~1945年の間に書かれたものは殆どなく、潜伏していた。

ドイツの歴史観

教育の意識のなかには「なぜこういうことが起こったのか」を考えることが常にある。ドイツの中高生は必ずドイツにある収容所へ行き、テーマを持って勉強している。アウシュビッツへ行けば、ガス室を見学したり、収容されたユダヤ人の靴などを見たりする事で、戦争でなにが起きたのか、事実に目をそむけないことを意識する。

日本人は広島の原爆ドームを必ずしも全員が見ていないのではないか。ドイツの教育と歴史観がリンクしているのは、「忘れないこと」と「事実に目を向ける」といことを意識していることだ。

第2部 トークセッション

続いて、「平和・教育・戦後処理」をテーマにトークセッションを行われました。パネリストは第1部に引き続き那須田さん、信州大学名誉教授の又坂常人さん、翻訳・通訳・エッセイストのマライ・メントラインさん、コーディネーターは松本猛塾長。

又坂さん

行政法の専門家の立場から日本とドイツの違いを語る   又坂常人さん

  • ドイツと日本は同じ敗戦国だが、近隣諸国の評価が異なる。その理由が3点ある。
    1. 戦争犯罪に対する取り組み
      戦後、国家のリーダーが戦後連合国に刑事犯として訴追され、刑事責任をとっている。19名が有罪。その後も1963年のアウシュビッツ裁判で初めてホロコーストの存在がドイツに広く知られることになったように、ドイツの国内法による継続裁判を行った。日本は731部隊の行ったことや、特高警察の行ったことも不問にされていることと大きく異なる。
    2. 保障について
      ドイツは西と東に分かれて、戦争した当事国としての賠償ができなかったのも背景にあるが、基本的に個人の請求権を認めて賠償している。日本は相手国の賠償請求権の放棄を、個人も放棄したと捉えていて、一人一人に丁寧に賠償していない。
    3. 強制労働に対する保障
      日本は朝鮮半島から強制的に人を連れてきて働かせている。これに対する賠償は一切行っていない。ドイツは統一後だが、強制労働者に対してお金を払う制度ができ、現在も支払を続けている。
  • ドイツには9条のような規定はないが、侵略戦争をしないという規定はある。戦後、ドイツは何をするかわからないので軍を持たせない、という状況であったが、冷戦によってソビエト以外の連合国は再軍備を認めた。ドイツの再軍備はドイツの欲求ではなく、隣国の要求だったのではないか。

マライさん

NHKの語学番組にも出演していたマライ・メントラインさんは流暢な日本語で語りました

  • ドイツ人は、議論をすることで他の意見を吸収しているので、自分の中に真逆の意見を持っている。
  • ドイツは戦後4か国の統治であったため、様々な国を見ることができ視野が広がったのではないか。
  • 軍事法を見ていても、ナチス時代の命令は絶対的なものであった。1950年代のドイツの再軍備に対してドイツ人的には軍はいらないという空気だった。しかし政治的理由から軍を作る際に、新しい軍事法をつくることになり、そこで「抗命権」というものができた。軍の上司から国際法に違反するような命令があったら、それに従わなくていい、従ってはいけない。
  • ドイツ軍を使うには国会が決定権を持っているので、すぐにどこかの戦争にすぐ参加することはない。アフガニスタンに派兵する時も、毎週のように学生を中心に反対デモが行われていた。
  • ナチス時代の国旗を見ると、複雑な感情が湧いてくる。ドイツの場合はナチス時代に使われていたシンボルなどを表に出すことを禁止されている。今の国旗も、掲げることをそれほど好んでいない。
  • 日本はみんなが一緒ではないといけないという空気がある。そこは少し残念。だが、自分の中にも意見があることに気付くことから始めていけば、変わっていくのではないか。

那須田さん

  • 90年代と90年代以降では世界だけではく、ドイツ国内も変わったのではないか。その流れの中で2011年までドイツは徴兵制があったが今は志願兵制度になっている。
  • 1960年代になるまでアウシュビッツのことは知られていなかったことを考えると、ドイツの戦後というのは1960年代以降なのではないか。ナチスドイツのユダヤ人に対する犯罪というのは決定的なものだが、当事者意識がなく“それはナチスがやったこと”という理由づけをすることにより、自分たちの中で贖罪しやすかったのではないか。
  • 現在ドイツの野党の第一党が極右政党なのは、格差を意識している人、差別されている人たちが支持しているのではないか。
  • 自分たちの考えを冷静に主張するということを日本はやってきていない。ドイツのデモは比較的静かなものもある。またひとつの意見だけのデモではない。(難民受け入れの賛成・反対のそれぞれのデモがある)さまざまな意見がまとまっていく形が見えてくる。日本のデモはアンチの人達がかたまっているように感じる。

(記録:事務局 犛山佐和)

参加者の感想

大多数の意見や思想は偏っていようとも社会に蔓延しやすいけれど、いつしか社会を覆ってしまう。その空気は戦争へと気づかぬうちにたどり着いてしまうかもしれない。教育は重要であるが、現在の日本の方向性には嫌悪を感じるし、自分の周囲をよく見渡し、意見を持ち、感情的でなく論理的に口を出せるようにと思った。(松本市・30代・女性)

過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる。戦争を忘れないこと、繰り返さないという意味、歴史に学ばなければならない。「事実に目を向ける…」、考えさせられることばかりでした。ドイツと日本の違いも自分なりに頭に、心に響いて、過去も未来も重要な問題として意識し続けることが大切だと痛感しております。(安曇野市・70代・女性)

最近の我が国の政治状況を見ていると、第二次世界大戦以前の状況へ逆戻りさせようとする大きな流れを感じる。平和憲法をつくり、それを掲げて築いてきた平和を改憲で壊そうとする政治が私たちの前に立ちはだかっている。ドイツの戦後処理とその政治理念に日本も学ぶ点が多くあると感じる。特に、教育と地方自治の二点で強くそれを思わされる。もちろん、日本の方が優れた面もあると思うが。一度立ち止まって考え直さないといけない。実のあるトークセッションありがとうございました。(飯田市・60代・男性)

日本は政治が貧弱だと再度痛感しました。戦後教育、現代史が不十分だと思います。この国は若い世代に政治、社会情勢について深く考えられるような教育がなされていなかった。戦後処理、補償について、若い人に教えたいです。この国はアメリカに飼い犬化されて情けないです。法律がなんともすんなり決まってしまうことは本当に怖い、危ないです。国のやることを信用せず、深く個人で考える国民になってほしいです。(松川村・60代・男性)

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