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〈レポート〉第33回(新春)講座~今の時代をどう生きる?~

2019.03.17 | カテゴリー:講座の記録

【2019年2月23日(土) 松本市中央公民館Mウイング】

年明け初の講座は「今の時代をどう生きる?」と題し、善光寺白蓮坊びゃくれんぼう住職の若麻績敏隆わかおみとしたかさんに語っていただき、ともに考えました。
第一部では、「あの世の探求からこの世のすがたを思う」をテーマにした若麻績さんのお話。平和のための社会的発信や、パステルで自然を描く画家としても注目される若麻績さんならではの、「美術」を窓口にした興味深い探求に聴衆は引き込まれました。
第二部は、参加者との問答。会場からは積極的に質問が寄せられ、今の時代の生き方についての考察を深めました。

第1部 講演「あの世の探求からこの世の相(すがた)を思う」

「極楽」とは、どんなところ?

私の生まれ育った善光寺は、参拝した者の極楽往生を約束する寺として信仰をあつめてきた極楽のお寺。極楽の原意は「幸いあるところ」。仏教の世界では、無限の光と寿命の仏(阿弥陀仏)に出会える、地獄、飢餓、畜生が存在しないところ。平坦な地に七宝で飾られた並木や蓮池があり、鳥が法音を出し、天の音楽、花の雨が降るといわれる。
仏教で描かれる極楽図や地獄図と、フラ・アンジェリコの「最後の審判」などに見るキリスト教の天国と地獄のイメージはほとんど同様である。世界各地に楽園信仰はある。

「楽園」を描く女の子

大学院時代に浄土図について研究しながらも、「極楽」のイメージが今ひとつ実感としてつかみきれずにいた私にとって、武蔵野大学名誉教授・皆本二三江先生の「女の子は楽園を描く」という言葉は衝撃的だった。実際、5、6歳の女児が描く自由画には、調和的な暖色系の色づかいで花などの自然物、人間、可愛いもの、きれいなものが描かれ、それらは、楽園的であり、平和的世界観である。
一方、寒色系を多用し、乗り物、英雄的人造人間、武器など、強いもの、大きいもの、早いものが描かれる男児の絵には、競争的、闘争的世界観が見える。そのどちらも、人間の成長、存在にとって重要ではある。そして、その思考や表現は、成長してもあまり変化がないと思われる。

遺伝子に伝えられる対極的な世界

700~800万年前、われわれ人類は類人猿からわかれ、樹上生活をやめて、サバンナで二足歩行の生活を始めた。「女の子が繰り返し描くあのパラダイスは確かに、草原とまばらな樹木のあるサバンナ的風景である」と皆本先生は見る。
ではなぜ男の子は楽園を描かないのか?その点については、「精子の競泳にみる男性原理は、まず戦うこと。戦いに勝たねば死滅するものにとって、戦うことだけが生き残る道であり生きがい」と分析する。

「極楽」と人間の心

極楽は女性性だけで解釈できるだろうか?仏教の経典には、阿弥陀如来(法蔵菩薩)が人々を救うための修行(利他行)を行い、その果てに極楽を建立したとある。
英雄(男性性)としての法蔵菩薩が、楽園(女性性)を獲得した神話、これが生の完全性のイメージではないだろうか。男の子の描く武器のイメージには、力の誇示と戦いへの動機付けはあるが、結果として相手に降りかかる地獄の悲惨は認識されていない。
先天的に人類が持ち合わせている楽園的世界観と闘争的世界観は、自我(エゴ)の発達と関わりながらさまざまな境界を生んでいく。仏教の世界では、「心」が、すべて(仏、菩薩、声聞、縁覚、天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄)を生み出していくのだと説く(十界互具)。人間の心によって戦争にもなるし、楽園にもなるということ。

「楽園」のイメージ

楽園のイメージとは、自我が発生する以前に、万物が調和していたことへの記憶、憧れ、共生の感覚。通常は女性性と結びついていて、男性はそれを女性、特に母親に投影している。幸せ、他者への思いやり、愛、慈悲、利他行(他人のために尽くす)の源泉である。

楽園的世界観は、現実の世界では「ディズニーランド」、なかでも世界はみな一つという「イッツ ア スモール ワールド」に現れている。最近では中国でも大人気の「ちびまる子ちゃん」(女の子の描く楽園的世界観をベースに描かれたアニメ)もそうであるといえる。

今を生きるわたしたちにとっての「楽園」とは

本来の楽園は、国家・宗教・性別・種を超えた平等な世界観を示すもの。これがなんの抵抗もなく受け入れられるのは子供時代の特権であり、自我が発達し、分別心(妄分別)が優勢になると、楽園も限定的なもの(国家・民族・宗教…)になっていく。
男性的な強者の論理は「楽園実現のためには、敵対する他者よりつよくならなくてはならない」というもの。しかし、本来の楽園は、「敵対する」という概念すら存在しない「共生の世界」なのである。

  • 自然の中に本来の楽園を見出すこと。
  • 自らの中に本来の楽園を見出すこと。
  • 自らの中に本当の英雄を見出すこと。

ここでいう「英雄」とは、自分よりも他者に優先して何かをすること。「それによって極楽が実現する」というのに、大概われわれは、英雄を政治家など他者に投影しがちである。「あの人なら世の中をよくしてくれるに違いない」と。お釈迦様は、他人に頼るのではなく、自らの英雄を自分自身で見出せと説いている。

 世の中を救えるのは「平等な考え方」に象徴される女性性であるが、今、世界を席巻しているのは「強いことが善」という男性性。これがあまりにも優位になってしまっている。本当の英雄は「他者のために尽くす」こと。

第2部 会場との問答

今の社会の中でスマートホンを使ってコミュニケーションをとることが多いが、将来を担う子どもたちに、こういったコミュニケーションが当たり前になっていくことを危惧しているが・・・

スマホは便利なものだが、視覚から直接脳に情報がいくこと、そして人と人との関わりがなくなり、接触が無くなっていく事を危惧している。他者との接触がなくなると、人は攻撃的になり、また不安になる。
十数年前に善光寺で盆踊りを復活させた時のある音頭で、みんなで手をつなぐ、という音頭があった。その時に全く知らない人とも手をつないで歓喜する、という事があった。手をつなぐという接触がいかに人に癒しを与えるかということが分かった。実際に触れ合う、新しいコミュニケーションの取り方を考えていかなければならないのではないか。

仏教の世界の中で軍国主義に抵抗した僧侶や、治安維持法により弾圧された僧侶はいるか?

仏教と戦争・国家は難しい部分がある。権力に対する否定的な部分がありつつも、日本の仏教は担い手が国家だったという部分で国家との結びつきがあった。
先の大戦でも、一人を殺して多くを生かすという「一殺多生」の思想で戦争に行くことをすすめていた。そのような時代の中で「戦争は罪悪である」ということを説き、検挙された僧侶もいた。(映画「明日へ」)

仏教の世界で戦争を肯定する部分は全くないが、檀家との関係、宗派と政党の結びつき等で「政治には口をだすな」という空気は今もある。

若麻績さんの描く絵は、何をテーマに描いているのか?

自分の好きな風景が自分の還る場所、というイメージを持っている。仏教の場合、エゴを出してはいけないので、“自分が”というエゴが絵から出過ぎないように注意してながら、“自分が還る場所”、というテーマ(イメージ)で描いている。

今の時代は闘うことを避けて通れない時代だと思うが、女性性を持って戦うにはどうしたよいか?

自分自身の中にある、愛や慈悲を持って生きていくことではいか。

大きな組織のトップ集団に女性が少ないと感じる。宗教で平和を解決できるのか。

イエスキリストやブッダが悟った内容は明らかに女性性であるが、宗教の教団(組織化)になると男性世の論理が展開されていく。やはり、女性的な理論を持ち合わせることが平和につながるのではないか。

青山の児童相談所建設反対問題が排他的であるように感じるが。

問題を抱えている人に対して、自分のテリトリーに入ってほしくない、という男性的な排除の理論である。そういった人とも一緒に生きていこうという、女性的な感覚も必要ではないか。沖縄の基地問題、原発も同じ論理のように思う。

中野名誉塾長の挨拶

男が変わらないと日常生活の中で楽園を見つけられないのではないか、という課題をいただいたように思う。今日のお話しを聞いて、自己変革をするしかないのではないかと言われた気がする。今日から少しずつ自分を変えていければと思う。
みなさんも今日のお話しを参考にして、すばらしい楽園をそれぞれのご家庭で見いだしていただければと思う。

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